コメント(A to Z)


アコーディオニスト・作曲家 
coba

出口美保 
(シャンソン歌手、シャンソニエ「ジルベール・ベコー」店主)

深江ゆか
(シャンソン歌手・日本訳詩家協会理事)

日本シャンソン協会 代表理事
日本シャンソン館 館長 
羽鳥功二

川出祥代(かわで さちよ) 
シャンソン歌手、日本訳詩家協会正会員

海江田文(かいえだふみ) 
シャンソン歌手

貝山幸子(かいやまさちこ)
シャンソン歌手・仏蘭西倶楽部主宰

日仏シャンソン協会 日本代表
アリアンス・フランコフォン日本代表
加藤修滋

元駐フランス日本大使 
木寺昌人

窪田 豊
(パリ祭 プロデューサー)

桑山哲也
(アコーディオン奏者・作曲家)

クミコ
(歌手)

牧村憲一 
(音楽プロデューサー)

松井五郎
(作詞家)

前田裕佳
(ピアニスト・現代音楽研究者)

永瀧達治
(フランス音楽評論・プロデュース)

大野修平
(シャンソン評論家)

大西ユカリ
(歌手)

サエキケンゾウ
(作詞家・アーティスト)

杉田真理子
(シャンソン歌手)

須山公美子
シンガーソングライター・シャンソン歌手

立川直樹
(プロデューサー/ディレクター)

Tony Shunsuke TOYA
(フレンチブルーミーティング代表幹事)

高橋実花
(シャンソン歌手)

日本画家
高木優子

五世 常磐津 文字兵衛
(常磐津三味線奏者、作曲家、重要無形文化財(総合認定)保持者)

マリー・ローランサン美術館
館長 吉澤公寿

ヤスコWild
(シャンソン歌手、訳詞家、NPO法人関西シャンソン協会理事長)

吉田幸生
(シャンソン・ピアニスト)

吉永多貨士/Gitane Yoshinaga 
(プロデューサー)

コメント(A to Z)


アコーディオニスト・作曲家 
coba

フランシス・レイさんに捧ぐ フランシス・レイさんの記念公演おめでとうございます。 素晴らしいメロディメーカーで、我々アコーディオン界の大先輩である彼の作品を拝聴するにつけ、ピエール・バルー氏や、彼のボタン式キーボードの開発を共にしたであろうクロード・キャバニョロ氏などなどパリの古い友人達のことを思い出します。フランスのミュージシャンにとってアコーディオンはルーツの楽器ですから、映画音楽の作曲家でアコーディオン出身者は珍しくありません。ローラン・ロマネリやヤン・ティールセン達が映画音楽を志すのも、フランシス・レイさんの存在が相当大きいでしょう。それにつけても彼のサウンドのスケール感は群を抜いていると感じます。我々も彼がその音楽に込めた引き算の美学を今一度見習って、大胆で勇気溢れる音楽を作らなくては、と思います。 できれば一度お会いしてみたかった!と、今、心底感じます。


出口美保 
(シャンソン歌手、シャンソニエ「ジルベール・ベコー」店主)

一度聴いたら忘れられない『男と女』のダバダバダ…は、私にとっては時代の変わり目を伝えてくれる音楽でした。私は大戦前の1937年生まれ。大阪大空襲で四天王寺の五重塔が崩れ落ちいった時の轟音と地響きは、今でも生々しく身体に蘇ってきます。戦後は生きることに必死。けれどいつしか暮らしにゆとりや文化が漂い始め、女性たちも外に出始め、気がつくと世の中は明らかに変わっていました。それが『男と女』の頃。私が思いがけなくシャンソン歌手として歩み始めたのは、それから間もなくしてのことです。1960年代はシャンソンの黄金期。戦前からの情緒に、変化を切望するパワーと様々な音楽スタイルが息づき、ベコーにブレル、グレコ、バルバラといった巨匠たちの才がうねりのように華開きました。その一端を担っていたのがフランシス・レイです。今度のコンサートが、その時代の音楽の煌めきに再び気づく機会になってくれたら嬉しく思います。


深江ゆか
(シャンソン歌手・日本訳詩家協会理事)

それまではいつも家族と一緒でしたが、十代の半ば頃から友達やボーイフレンドと一緒に映画を見に行くようになりました。 映画を見て、喫茶店に行って・・・というのがその頃のティーンエイジャーのデートの定番コースでした。 そんな頃に見た「男と女」「白い恋人たち」「ある愛の詩」・・・。子供には地味な映画でしたが、いくつかのシーンとその後ろに流れていた音楽だけは長く記憶に残りました。
フランスのポピュラー音楽シャンソンに大学生の頃から携わるようになって、心に残っていた旋律がフランシス・レイの作品と知りました。彼の映画音楽を耳にしたり口づさんだりする度に、映画のシーンがスライド写真のように甦ります。そしてその頃の自分や友達に出会える様な気がします。 目を合わせることもなくはにかんで「さよなら」と帰って行ったボーイフレンドの横顔までも、まるで映画の一シーンのようにフランシス・レイの音楽は甦らせてくれるのです。


日本シャンソン協会 代表理事
日本シャンソン館 館長 
羽鳥功二

物心ついた頃から私の部屋の壁には「男と女」のポスターが貼ってあった。 私の生まれる前の映画であったが、決して古いとは感じさせない、あの映像美と切なくも美しい音楽に魅了されていた。 ポスターを見ていると頭の中に自然とあの美しいメロディーが流れ始めた。 それ以来、私はフランシス・レイの音楽の虜になっている。 決して色褪せることのないメロディーは、これからも時代を超えて私たちの中に生き続けるに違いない。 映画音楽に止まらず、エディット・ピアフやコラ・ヴォケール、ジュリエット・グレコ、ミレイユ・マチューなど多くのシャンソン歌手たちに楽曲を提供されてきた。 それらシャンソンの名曲の数々が、これからも日本のシャンソン歌手たちによって未来永劫、大切に歌い継がれていくことを心から願っている。


川出祥代(かわで さちよ) 
シャンソン歌手、日本訳詩家協会正会員

ダバダバダ・・・「男と女」のテーマ曲冒頭のスキャットを耳にしますと、私は思い出すのです。映画の舞台になったドーヴィルの海岸を、風の香りを・・・。私がパリ留学中、恋の痛手を癒す為、ひとり訪れたあの日の事も。
香りや味覚が思い出を運ぶように、映画音楽を耳にしますと、映像やストーリー、その映画を観た頃の自分も思い出させてくれます。
映画音楽はストーリーを紡いでくれます。
シャンソン歌手は、私も含め、沢山のフランシス・レイの作品を仏語や日本語訳詞で歌っております。
歌う時、私の魂はフランシス・レイ、作詞者、映画監督クロード・ルルーシュまで繋がります。素晴らしい作品の数々を「歌い継いで行く役割。」を担う事の出来る歌手であること。この上ない幸福です。
若い世代の人々にも名曲を歌い広めて参ります。


海江田文(かいえだふみ) 
シャンソン歌手

「人生を変えた音楽アルバム」は幾つかあるけれど、ピエール・バルーの『Vivre』(1967)もその一つ。フランシス・レイはバルーの音楽上のパートナーで、主要作曲者として『Vivre』に参加していました。『Vivre』誕生とほぼ同じ頃、遠い日本でこの世に生を受けた私は、後の復刻CDで『Vivre』を知りました。バルーのヒリつくように清冽な歌詞と、ボサノヴァやジャズのメロウなコード感&躍動が手を取り合った素敵なアルバム。中でもアルバムタイトルになっている楽曲「Vivre」には完全ノックアウト。作曲は勿論フランシス・レイです。以来、バルー+レイにより生み出された1960年代のシャンソンは、1990年代、ヒヨッ子シャントゥーズだった私の道標になりました。映画『男と女』のダバダバダも「愛は私たちより強く」も、「ノエル(白い恋人たち)」も「自転車」も。私に道標を示してくれたフランシス・レイ様。貴方への愛と感謝はこれからも続きます。


貝山幸子(かいやまさちこ)
シャンソン歌手・仏蘭西倶楽部主宰

フランシス・レイの音楽との思い出
「パリの魔法・フランシス・レイの音楽」

シャンソンを歌い始める前、私はフランス発演技システム「ベラ・レーヌシステム」を勉強する役者の卵だった。「フランス映画をたくさん見なさい。そして、感情ごとに曲をリストアップして、演じる時に曲を頭で流せば自然な演技を助けてくれる自分だけのガイドブックになるから」私はフランス映画に夢中になった。 恋にのめりこむ大人、悲劇のヒロイン、冬のプリンセス、背伸びする恋
etc
最大のドキドキを感じる映画の音楽は全てフランシス・レイが担当していた。
その後私はシャンソンに魅了され、パリに渡った。頭の中にフランシスの音楽を流しながらパリの街を歩く。「私は無敵だ。時空を超えた最大のドキドキで心が一杯なのだから。」
あの頃、7年間たくましくパリで生きぬけたのはフランシスの音楽のお陰かもしれない。


日仏シャンソン協会 日本代表
アリアンス・フランコフォン日本代表
加藤修滋

フランシス・レイ・・・世界的にも著名なこの作曲家が、日本に於いても、もっとも知られてしかるべきと思って来た私にとって今回の公演は何よりの朗報です。 これを機にフランシス・レイの名前と存在がより知られると確認します。 日本各都市での公演に大きな喜びを感じると共に、コンサートの成功を心より祈念申し上げます。

 ブラボー!フランシス・レイ


元駐フランス日本大使 
木寺昌人

「男と女」を中学生のときに見て感動し、何度も何度も見た。男と女が60年代ならではの場面で出会い、フランシス・レイの曲が盛り上げ、ルルーシュの世界が心のひだに染み渡たる。初めてレイが作曲した映画音楽が大ヒットし、その後ルルーシュ監督はレイの音楽の虜になり、予めレイが書いた曲を流しながら映画を撮影した。イヴ・モンタンの「自転車乗り」もレイの名曲だ。ポーレットに対する恋心を自転車で風を切って走るように歌い上げる。ラブストーリはじめ甘く切ないレイのメロディーは日本人の心を掴んで離さない。フランス人は日本の文化に詳しく、小津安二郎、安藤忠雄、村上春樹をよく知らないと会話が途切れてしまう。文化、芸術で日本とフランスの間の交流は幅広く、レベルも高い。日本とフランスは遠く離れているが、日本文化を一番よく理解しているのはフランス人で、フランス文化を一番よく理解しているのは日本人である。ダバダバダの曲が今も私達の耳から離れないのはその証左である。


窪田 豊
(パリ祭 プロデューサー)

フランシス・レイ:フランスの国民的歌手・エデット・ピアフの晩年を彩った作曲家。 一番好きな曲は「愛する権利」。「愛する権利/Le droit d’aimer」 フランシス・レイ作曲のこの曲は、1962年にシャンソンの女王・ピアフによって発表されました。 ピアフは20歳年下のテオ・サラポとの結婚を批判する世間に向けて 「私が愛することを妨げる人などいない、私には愛する権利がある」と歌い上げたのです。 日本では越路吹雪、美輪明宏、深緑夏代、青木裕史、山口蘭子などによってレコーディングされています。 この曲を聞いた時にピアフの開き直りに驚き、日本とフランスの愛の形の違いにショックを受けました。 詞に寄り添っている堂々とした真っ直ぐなメロディー、そして、力強いリズムが迫力を生み多くの人の心を打ちます。 フランシス・レイが残してくれた遺産に感謝。


桑山哲也
(アコーディオン奏者・作曲家)

フランシス・レイに想いを寄せて 僕の父は作曲家でアコーディオン奏者だった。アコーディオン教室もやっていたので、自然と6歳からアコーディオンを習い始めた。教室で使用していた教則本はフランスの物で、『パリの空の下』『パラ色の人生』など当時小学校1年生の桑山少年は自分が将来パリ祭の音楽監督になり、それらの曲を毎日弾く事になるとは夢にも知らず、無意識にシャンソンの英才教育?を受けていた。発表会などで父が得意げに弾いていたのが『白い恋人たち』『ある愛の詩』などフランシス・レイの曲だった。 そんな曲たちがいつの間にか僕のレパートリーにも加わっていった。プロになり東京に出て来た頃、あるフランス人アーティストのサポートをした。 リハーサルスタジオに行くと、お世辞にも綺麗とは言えないヨレヨレのシャツに穴の空いたジーンズ姿のおじさんが現れた。ピエール・バルーだった。 えっ?!
『男と女』の人?マジか(汗) 彼は気さくで楽しい陽気なおじさんだった。バルーと話をしていたら、フランシス・レイの話がたくさん出てきた。『彼はアコーディオン弾きだったんだよ。』えっ?知らなかった!
あっ!そうだったのか!そこでようやく合点がいった。 フランシス・レイの曲はアコーディオンで弾きやすいのだ。特に色々な曲で特徴的となるコード進行は正にアコーディオンの左手の5度配列。道理で弾きやすいし馴染みやすい訳だ!という事は俺にもあんな名曲を作る事が出来る?訳も無いので、これからも彼が残した名曲を弾き、若い世代に伝えて参ります。


クミコ
(歌手)

子供の頃、初めて買った映画音楽のレコード。
そこに並んでいたのは、メロディーラインのくっきりとしたヨーロッパ音楽だった。
その中に「うたかたの恋」があった。
「うたかた」って何だ、と思いながら聴くと、まあ何と甘美なメロディー。
これがフランシス・レイとの出会いだった。

その後、フランシス・レイの音楽は世界に溢れた。
今聞くと、どれもが、今こそ流行りそうな歌謡曲のようにも聞こえる。
切なくて切なくて美しくて、むずむずする。
「うたかた」が身に添ってきた今だから、フランシス・レイをまた聴きたい。


牧村憲一 
(音楽プロデューサー)

渋谷は映画の町だった。宮益坂下に行けばいくつかの映画館があった。ロードショーから名画座に移ると、入場料が下がる。そんな名画座は洋画の宝庫だった。僕にとってはヨーロッパで作られた映画は宝物のような存在だった。

あの日、映画館を出た時のことはまだ覚えている。ストーリーも映像も、音楽も、それまでになかったものだった。その映画のタイトルは『男と女』。
クロード・ルルーシュ、フランシス・レイ、ピエール・バルーの、友情溢るるチーム・プレイは『白い恋人たち』で決定的になった。

後に友人になったピエール・バルーに聞いたことがある。どうしたらあんなに映像と音楽が寄り添うことが出来るのかと。ピエールは笑いながら答えた。音楽を流しながら撮影したからだと。

ルルーシュの作る初期の映画は、ピエールの詩と、フランシス・レイのメロディーで成り立っていた。そしてフランシス・レイは、アメリカ映画界にとっても必要な映画音楽作家となる。まさに映画が最高の娯楽だった時代の話だ。


松井五郎
(作詞家)

好きな映画を訊かれると、迷わず答える一本がある。クロード・ルルーシュの「男と女」だ。はじめて観たのは中学生の頃だったか。描かれている男女の心の機微までは理解できていなかったかもしれないが、その映像体験は強烈に印象に残った。その一番の理由は音楽だった。フランシス・レイという名前が心に深く刻まれた。そのキャリアを追うように彼の音源を聴き漁った。観ていない映画のサントラも、まるで映像が見えてくるような旋律は、他の作曲家と一線を画した。時に映画の内容が多少凡庸でも、彼の音楽はドラマを引き立てる。
僕は数年前から洋楽の日本語歌詞を多く作っているのだが、フランシス・レイの曲にもチャレンジした。歌詞のあるものは元歌詞になるべく忠実に、更に聴感上聴きやすいような日本語歌詞を書いた。作詞家として改めてフランシス・レイのメロディに接してみると、日本人の琴線に触れる部分が多くあると感じた。RomanticでSentimentalで、邦楽に近い湿度がある。メロディの中にいる主人公の輪郭が見えてくる。
今回の日本ツアーでは未発表曲の世界初披露もあると言う。まだ知らないフランシス・レイを耳にすることができるのが楽しみでしかたない。


前田裕佳
(ピアニスト・現代音楽研究者)

フランシス・レイの楽曲がリリースされた時代にはまだ生まれていなかったものの、「白い恋人たち」や「男と女のテーマ」は、私にとっては聴き馴染みのある作品で、ノスタルジーさえ感じる。それらの懐古的な気分の正体は、これらの楽曲が時代を超えたシャンソンの普遍性を潜めているからではないだろうか……


永瀧達治
(フランス音楽評論・プロデュース)

フランシス・レイ…仕事の関係上、公私を通じて個人的な思い出もあるが、私にとって、彼の音楽は数々の青春の思い出を彩るBGMだ。それはクロード・ルルーシュ監督の映画のせいでもあるのだが、人生でいちばん大事なのが、「恋と友情と冒険」であることを教えてくれた。そんな青春時代の脳裏に流れていた曲がすべてフランシス・レイの音楽だった…。一昨年のパリのGrandRex劇場で行われた「フランシス・レイ・コンサート」で閉幕のブラボーと歓声の中で、ボクは年甲斐もなく涙していた。それはフランシスの死を弔う涙であり、ボク自身の青春を弔う涙でもあった。
今の時代を夢と希望に溢れた60~80年代と比べるのは無理な話だろうが、経済格差と同調圧力に挫けそうになる若者たちにも、ぜひ、「恋と友情と冒険」の人生を味わってほしい。フランシス・レイの音楽を聴きながら…。


大野修平
(シャンソン評論家)

"Musique à tout va " (「この歌にのせて」)
 
”シャンソンの貴婦人”エディット・ピアフが晩年に見出した作曲家、フランシス・レイ。彼が1962年に書いた曲の邦題を拙文のタイトルにした。直訳すると「留まるところを知らない音楽」。
聴いてスッと頭に入るメロディーが適度に繰り返され、ピアフが歌う。覚えやすいレイの音楽の特徴は、キャリア初期から備わっていた。ピアフは彼に確信を持って言った。「あんたはいつか世界中を駆け巡る作品を書くでしょう」。
その予言は的中する。クロード・ルルーシュ監督映画『男と女』のテーマがそれだ。ブラジルで現地の音楽に魅了されたピエール・バルーとの出会いでレイの才能はさらに花開く。バルーがフランス語で書いた歌詞がボサノヴァのフレーヴァーをまとい、映画を飾った。ヴォーカルは女性歌手ニコル・クロワジーユとピエール・バルー自身で、文字通り世界的なヒットとなった。その後の活躍ぶりは言うまでもない。
今年はエディット・ピアフ没後60年に当たる。彼女もフランシス・レイの成功をを喜んでいることだろう。


大西ユカリ
(歌手)

フランシスレイと私の思い出。逢うたことないけど、ボンジュール。「ある愛の詩」と「赤い疑惑」がボンジュール。
1975年~77年。私はフィンガー5を歌いながら学校に通う小学生。アイドル、ドラマ、映画。そう映画!
水曜・金曜・日曜ロードショーで両親大助かり。連れてけと強請られてもテレビでやっとる。もはや映画は家で観る時代に突入していた。映画音楽のハコ鳴りの良さは小学生には解らない。でも流行った映画の音楽は口づさめるからすごい。そんな時分。百恵ちゃんの『赤い疑惑』が75~76年。白血病を患う百恵ちゃん扮する幸子が大好きな叔母さん役が岸惠子。テルトル広場。JAL。凱旋門。 グレー色のパリロケに於ける岸惠子が佇むセーヌ川の橋はカルダンの衣装もクールで、さすが大映! JAL全面協力のメロドラマは小学生さえ虜にした。そしてアコーディオンのサウンドトラックが私には、まるで「ある愛の詩」そうなんです。重なるの。水曜ロードショー三浦友和・山口百恵吹替が77年。ジェニーとオリバー。幸子と光夫。菊池俊輔とフランシスレイ。まるで冬ソナ。
レイさんメルシー。貴殿が作ってくれた音楽のおかげで、多分私みたいな「重ねて考える族」が増えるわよ。


サエキケンゾウ
(作詞家・アーティスト)

魔法のフランシス・レイ

夢のようなロマンティーク、まだ子供だった僕を魅了したのはフランシス・レイだった。妖精のようなオリンピックの若者たちを描いた「白い恋人たち」(1968)のテーマ・メロディで演奏されたエレクトリック・アコーディオンの妖しい音色はまさに音楽の魔法そのものだった。 さらにノックアウトされたのがルノー・ヴェルレー主演の「さらば夏の日」(1969)のテーマ。映画そのものより、このハーモニカが奏でるメロディに「夏の永遠の切なさ」を頭脳に刻印されてしまった。 というわけで、青年に至っていない「子供の心」にも「青春の心の懊悩」を埋め込んでしまう恐るべき作曲家、それがフランシス・レイだ。 「男と女」という名作映画が、性も知らない子供の心に大人の恋の世界を知らしめたのも、あのピエール・バルーとの名曲が大きな作用をしていたのだろう。


杉田真理子
(シャンソン歌手)

1995年から3年間、毎年1ヶ月の間、フランシス・レイオーケストラのメンバーに、4人のフランス人のアーティストを加えて、日本で『シャンソン・ド・パリ』というコンサートツアーが催されておりました。私もそのメンバーに加えていただき、一緒にステージで歌い、旅をしました。その時のご縁もあって、ピアニストのエリック・ベルショさんに、私のCDでピアノを弾いていただいたり、フランシス・レイさんのパリのご自宅に伺って、ご本人にお逢いさせていただいたこともあります。窓の外にエッフェル塔が美しく見える素敵なアパルトマンでした。「コンコルドが飛ぶのなら、日本にも行けるんだけど…」「じゃあ中国まで飛んで、そこから船でどうですか?」飛行機恐怖症のレイさんをあとちょっとで説得出来そうな、やっぱり無理そうな…そんな雰囲気も楽しかった思い出です。彼の音楽はこれからも一瞬にして、私達をあの時代のあの場所へと誘ってくれることでしょう。


須山公美子
シンガーソングライター・シャンソン歌手

中学生の頃、小遣いを溜めて買ったナナ・ムスクーリのアルバムは、A面1曲目が「ある愛の歌」で、最後が「シェルブールの雨傘」だった。どちらも美しいメロディーだが、「シェルブールの雨傘」より、「ある愛の詩」のほうが歌うのが難しい。「シェルブールの雨傘」は聴いた感じより歌いやすく、「ある愛の詩」は、いかにも難しい感じはないのに、跳躍が多くて何だか音が取りづらい。メロ途中から歌うとか、至難である。 「白い恋人たち」は、息継ぎの場所がない。なので、日本では1拍増えてボサノバになった。口ずさみたくなる美しいメロディーなのに、ちゃんと歌おうとすると、何気に壁がある。ミシェル・ルグランは、難しい曲は聴くだに難しい感じだが、フランシス・レイの曲はメロディーの美しさに難しさが埋れる。映画音楽を書くひとは、キーボードだからな。キーボードは、息継ぎも跳躍も関係ないもんなと思いながら、それでも歌いたくなるのよね、困ったものだわ。


立川直樹
(プロデューサー/ディレクター)

多くの人がそうであるように最初にフランシス・レイの存在を知ったのは映画「男と女」だった。十代後半の僕を一発で虜にしてしまった忘れ得ぬ映画。 クロード・ルルーシュはその時に一気に好きな監督のベスト5入り。フランシス・レイと一緒に"永遠の名曲"の誉れ高い主題歌を作り、歌ったピエール・バルーも憧れの人になり、15年ほど後には日本に連れてきてアルバム「ル・ポレン」をプロデュースするに至る関係になったが、ルルーシュの映画にはいつもフランシス・レイの音楽が絶妙に寄り添っていた。 「ル・ポレン」の発売後、アルバムを気に入ってくれたピエール・カルダンの全面サポートで実現したパリのカルダン劇場で、アコーディオンを抱え、バーデン・パウエルと一緒にステージに立ってくれた時は、本当に嬉しかった。 そしてルルーシュがドーヴィルに作った会員制ホテル"CLUB 13"でピエールとクロード・ルルーシュ、それにフランシス・レイとテニスをやったのも夢のような思い出だが、そうした記憶と同時にフラッシュバックしてくるのはフランシス・レイの優しい笑顔だ。 あの笑顔を独特の優しさが漂う彼の作るメロディと確実につながっている。


Tony Shunsuke TOYA
(フレンチブルーミーティング代表幹事)

パリのアメリカ被れとマスタング
 
ボクは「男と女」を聞くと脳内で1966年米国フォードマスタングのエキゾーストノートが単純想起されるシステムがどうやらインストールされているようです。耽美的なフランシスレイの音階とアメリカンV8の獰猛なサウンドは、パリのアメリカ被れに通じます。華やかな「ラリーモンテカルロ」にエントリーしたジャンが駆るマスタングに、アヌーク・エメ演じるアンヌを乗せて雨のオートルートを走り出せばほら・・「ラア・ラア・ラ・ラララララ♪」脳内に響きませんか。ラリーで泥だらけのカーナンバー184のマスタングに絶世の美女を乗せて・・クーッ・・俺もやりてえ!何がって・・ナンバーは「イヤヨ」ですが心はほら・・フランシスレイの音楽は妄想拡張装置でもあります。


高橋実花
(シャンソン歌手)

フランシス・レイと言えば真っ先に思い浮かぶのがあの強烈なフレーズ「ダバダバダ…」
いつ頃に聴いたのかはっきり記憶にないけれど、まだ幼かったのは確か。子供ながらどこか粋で魅惑的なメロディにときめいた事を覚えている。
「白い恋人たち」や「ある愛の詩」のような甘く切ない大人のメロディにも憧れた。

後にシャンソン歌手としてステージに立つ日々。男女の恋愛を描いた日本語詞で「白い恋人たち」を歌ったところ、お客様より、「知ってる?、あの曲は1968年グルノーブル冬季オリンピック記録映画のテーマ曲だったんだよ」…恋愛には全く関係ない曲だと理解するのに少し時間がかかった。歌い始めた頃は、なんとなくの感性で歌いたい曲を選んでいたのだ。

私が思う名曲は一度聴いたらずっと心に残る曲。時が流れてもふだん忘れていても、ふと取り出した時けして色褪せないきらめき。 それがフランシス・レイの音楽だと思う。


日本画家
高木優子

まだ人間歴も浅い郷愁というものが何たるかわからない世代の頃から、私は何故かノスタルジーを感じるものに興味を持つことが多かった。 音楽も然り、国境を超えてノスタルジックなメロディが記憶に残ることはこれまでにもよくある。 フランシス・レイとの思い出と言えば、我が家がまだ裕福だった幼き時代、父がよくホテルのレストランに家族を連れて行くことがあった。 豪華なロビーの装飾、ふかふかな上質の絨毯、そしてノスタルジーを感じるメロディが訪れる度に流れていたのを思い出す。 当時は誰の何と言う曲かを調べるには至らなかったけれど、頭の中にメロディは生き続け鼻歌で口ずさんだりもした。 大人になりこれはどなたの曲なのだろうとようやく調査に入り、ここでやっとフランシス・レイと繋がるのである。 「13 Jours en France」は13日どころか私の生きる月日に寄り添ってくれる楽曲。そして口ずさむときはいつも猫語になるのである。


五世 常磐津 文字兵衛
(常磐津三味線奏者、作曲家、重要無形文化財(総合認定)保持者)

フランシスレイの音楽の思い出

幼少の頃、現在の私と同じ職業であった父(後に人間国宝)から、この作曲家の作品は良く聞いておけと、フランシスレイ作品を「刷り込み」されました。父は自作オーディオマニアでもあったので大音量で大きなスピーカーで聞いていました。大きな和室で小学生が左右のスピーカーから等距離の場所を探して正座してフランシスレイを聞いている姿は結構笑えます。フランシスレイの7thコードを多用した独特な音楽の浮遊感に、「大人」の音楽を垣間見た気がしていました。フランシスレイの音楽はたまに、「おや?」という感じで、日本音楽に通じるメロディーが聞こえるような気がしています。フランシスレイ作品をよく聞いていたおかげで、現在曲を作るときもメロディーラインをかなり重要視するタイプになったと思っています。


マリー・ローランサン美術館
館長 吉澤公寿

私が暁星小学校でフランス語の授業を受け出した頃、「フランスでのオリンピックの音楽」を耳にしましたが、その美しい旋律と、優しくも儚いメロディーは忘れられない曲になりました。その後スーパーカーブームというものにはまった私は、映画のポスターにランボルギーニ・ミウラが写っているのを発見し映画を観て、その音楽の甘酢っぱい淡い思いの詰まった美しさに心を揺さぶられました。この二つの音楽、13 jours en Franceと個人授業の作者がフランシス・レイだと知ったのは高校生になってからだと思います。
映画監督クロード・ルルーシュとの名コンビは1981年『愛と哀しみのボレロ』を完成させますが、この映画のクライマックスであるボレロの振り付けをしたのが、マリー・ローランサンの友人セルジュ・リファールとローラン・プティから大きな影響を受けたモーリス・ベジャールでした。ローランサンの絵とフランシス・レイの音楽にはとてもよく似た叙情性と日本的な「ものの哀れ」の儚さが共通しているように感じます。


ヤスコWild
(シャンソン歌手、訳詞家、NPO法人関西シャンソン協会理事長)

フランシス・レイさんを偲んで

「白い恋人達」この曲が私がレイさんの洗礼を受けた曲であった。出だしのいきなり流れるようなメロディーが私に衝撃を与えた。こんな美しい始まりの曲があるのだ。 白いゲレンデにシュプールを描いては滑って行くスキーの画面に流れた旋律は、私にとってはオリンピックとかスポーツを超えたものだった。 「ある愛の詩」では、まだ純情だった私に人を愛することの切なさと美しさを盛り上がっていく音の中に感じさせ、何度聴いても涙したものだった。 「さらば夏の日」、「パリのめぐり逢い」、「男と女」では、登場人物たちの複雑な心模様を洗練された研ぎ澄まされた都会的的な感性で表現している。「自転車乗り」では私たちをメルヘンの世界に連れて行ってくれた。 フランシス・レイは優しく、不思議なメロディーで、新しいシャンソンのページを開いてくれた。 私の青春も遠くなっていこうとしているが、彼の曲を聴くといつでも美しいあの日々が蘇る。


吉田幸生
(シャンソン・ピアニスト)

僕とフランシスレイ

最初の出会いは「男と女 Un Homme et une Femme」だが、映画ではなく、エレクトーンのテキストでした。教材として練習しながら、おしゃれな曲だなあと思ってました。複雑なリズム進行とコード進行でありながら、実に自然な流れに聞こえる曲作りに感嘆しました。大人になってから「愛は私たちより強く Plus fort que nous」にジーンときて、すっかりレイさんはマイフェイバリットミュージシャンとなりました。そしてシャンソンの伴奏を仕事にするようになってから出会ったのが、エディット・ピアフに提供した曲「愛する権利 Le Droit D’aimer」「私を連れてって Emporte Moi」。イヴ・モンタンの「自転車 La Bycyclette」、コラ・ヴォケールの「想い出のサントロペ Je n'irai pas a St-Tropez」。いずれも聴きやすいおしゃれな展開でありながら、実はリズム的には一捻りある曲作り。もう唸るしかありません。それ以来、師匠と崇め奉る大作曲家なのです。


吉永多貨士/Gitane Yoshinaga 
(プロデューサー)

15才の時に映画『男と女』に心を鷲掴みされてから、フランシス・レイのメロディとピエール・バルーの歌の虜になった。 だから『男と女2』『愛と哀しみのボレロ』などの映画の中で歌っていたリリアン・デイヴィスの企画盤を2000年にプロデュースできたのはラッキーだった。 そして2004年には川原亜矢子さんのアルバム『SoNice』をプロデュースしたときに、ピエール本人に参加してもらったのだが、絶対に歌ってくれないと言われていたあの『男と女』を38年ぶりに亜矢子さんとデュエットしてくれたのは本当にうれしい驚きだった。 加えて「愛は私たちよりも強く」もピエールのアイデアで、最後の一節、日本語で歌われるのだが、メロディの良さが際立って聴こえてきた。 ピエールも最初の頃は作曲もしていたが、フランシスとの出会いによって作曲はフランシスに委ねるようになった、というのがその時よくわかった。 フランシス・レイのメロデイには誰も抗えない。


Francis Lai Orchestra
Japan Tour 2023
「Francis Lai Story」

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【東京公演】
サンライズプロモーション東京:0570-00-3337(平日12:00~15:00)

【仙台公演】
キョードー東北平日13:00~16:00 土曜日10:00~12:00(※祝日を除く)

【名古屋公演】
キョードー東海052-972-7466 月~金 12:00~18:00 土 10:00~13:00(※日曜・祝日は休業)

【大阪公演】
キョードーインフォメーション 0570-200-888